坂の由来
江戸時代からずっと、猿楽町と駿河台の境目のこのエリアは崖地で、そもそも通り道がなかったんだ。1924年、関東大震災からの復興プロジェクトでようやく道ができて、同じタイミングで西側にもう一本、踊り場つきのゆるやかな階段も作られたんだよ。
こっちは踊り場がほとんどなくて、73段を一気に直線で上る急勾配。だから「男坂」って呼ばれるようになったんだ。西へ100mくらい行ったところにある「女坂」(82段、踊り場2ヶ所あり)とは、震災復興で同時に生まれた兄弟みたいな関係だね。
猿楽町から駿河台へ上る、73段の直線階段。西100mにある「女坂」とペアで、大正13年の震災復興工事で誕生した。
江戸時代からずっと、猿楽町と駿河台の境目のこのエリアは崖地で、そもそも通り道がなかったんだ。1924年、関東大震災からの復興プロジェクトでようやく道ができて、同じタイミングで西側にもう一本、踊り場つきのゆるやかな階段も作られたんだよ。
こっちは踊り場がほとんどなくて、73段を一気に直線で上る急勾配。だから「男坂」って呼ばれるようになったんだ。西へ100mくらい行ったところにある「女坂」(82段、踊り場2ヶ所あり)とは、震災復興で同時に生まれた兄弟みたいな関係だね。
坂の下にはカトリック神田教会があって、坂の途中には「東京音楽大学発祥の地」の碑も立ってるよ。近くには文化学院の旧校舎跡もあって、このエリアはとにかく学校・教育機関の歴史が濃いんだ。段数は女坂より少ないけど、踊り場が少ない分、体感的にはこっちの方がキツいかも……。