坂の由来
大木戸坂、標高差4.9m・距離303m。四谷大木戸跡から外苑西通りを北へ下る、都心らしい開けた坂だ。ただし単純な一方向の下りではない。序盤でいったん標高が落ち込み、中盤で一度緩やかな谷を作ってから、また上りに転じる——地形図を見ればわかる、ちょっとした起伏のある坂だ。坂名の由来は、新宿御苑の大木戸門近くにあった甲州街道の関所「四谷大木戸」。1616年に設置され、1792年に廃止された。
新宿御苑まで徒歩数分、外苑西通りは信号も少なく走りやすい。平均勾配としては緩やかな部類だが、序盤の下り→中盤の谷→終盤の上り、という3段階の起伏がインターバル走にちょうどいい。坂ラン中に心拍数の上下を意識するなら、この坂は悪くない選択肢だ。
データだけの坂ではない。四谷大木戸跡には、当時の玉川上水の石樋を使って作られた記念碑が今も残っている。江戸時代、甲州街道を通って江戸に出入りする人々が、この関所で足を止めていた。坂を駆け上がる時、300年以上前にここを歩いていた旅人たちのことを、ふと考えることがある。
今の大木戸坂
坂の南、大京町には「斎藤茂吉終焉の地」がある。歌人であり精神科医でもあった斎藤茂吉は、1950年からこの地に居を構え、最晩年の約2年間をここで過ごした。体調を崩しながらも歌集『石泉』『霜』を刊行し、1951年には文化勲章を受章している。現地のビルには、長男・斎藤茂太の手による歌碑が今も残っていて、「新宿の大京町といふとほりわが足よわり住みつかむとす」という一首が刻まれている。データだけでなく、こういう記録も走りながら頭に入れておくと、坂の見え方が変わる。
坂沿いには曹洞宗・萬亀山東長寺、長善寺といった寺院も点在している。四谷はもともと寺町として整備された経緯があり、江戸城の外堀普請の際に麹町から移転してきた寺社が多い。効率重視のランでも、こういう歴史の積み重ねを意識すると、走る意味が少し変わってくる。
斎藤茂吉終焉の地の由来は新宿区ゆかりの人物データベース・新宿区公式サイトを参照。座標のジオコーディング・国土地理院標高データは実測済み/地図:OpenFreeMap(OpenStreetMapデータ)/高低図と地図の連動位置は距離の割合ベースの近似です